1.チャベス大統領の病気関連
(1)4日午前2時頃,事前の発表なしにチャベス大統領がキューバからほぼ1ヶ月ぶりに帰国し,同日午後5時40分頃,大統領府のバルコニーから支持者に向けて約35分間の演説を行った。
(2)16日午前,チャベス大統領は大統領権限の一部をハウア副大統領とジョルダーニ企画財務大臣に一時的に委譲し,ガン治療を継続するため再度キューバに向けて出発した。
(3)23日午後9時45分頃,チャベス大統領は,ガン治療のために16日から滞在していたキューバから当国に帰国し,記者会見において「17日に断層撮影による精密検査を受けたが,私の体のどこにも悪性細胞は見つからなかった。ただ,危険は存在しており,それ故今週1週間,化学療法を行った。辛い治療であった。(化学療法の)第1フェーズは22日に終了した。」と述べた。
2.ベネズエラ独立200周年記念式典
5日,カラカスにてベネズエラ独立200周年記念式典が開催され,ラ米カリブ地域からモラレス・ボリビア大統領,ムヒカ・ウルグアイ大統領,ルゴ・パラグアイ大統領及び21カ国の外相が当国を訪問し,市民・軍事パレードに参席した。チャベス大統領は自身の体調問題を理由に,大統領府において同パレードを観覧した。
3.新たな中央省庁の創設
(1)7日,チャベス大統領は閣議において,新たに青年省(Ministerio
de Juventud)を創設し,ジャーナリストのマリピリ・エルナンデス元外務次官(Maripili
Hernandez)を同大臣に任命する旨の大統領令に署名を行った。
(2)26日,チャベス大統領は当地国営テレビVTVの番組に電話を通じて出演し,新たに刑務所省(Ministerio
para el Servicio Penitenciario)を創設し,イリス・バレラ(Iris
Varela)与党PSUV国会議員(タチラ州)を同大臣に任命すると発表した。
4.当国の刑務所騒動
13日,6月17日から27日間にわたり刑務所RodeoUで武装籠城し国家警備軍の出動に抵抗しつづけていた囚人831名が,ベネズエラ政府当局に投降し,他の刑務所に移送された。本件に関する一連のオペレーションは,内務司法省科学・刑事捜査機関(CICPC),国家警備軍,検察庁の合同で実施された。
5.チャベス大統領の2012年大統領選挙出馬表明
24日,チャベス大統領は,当地オリノコ通信が行った電話インタビューにおいて,2012年大統領選挙への出馬意向についての質問に対し,「私には,以前に増して,現政権を維持し,(2012年大統領選挙に)立候補するための医学的,科学的,人道的,愛情的,政治的な理由がある。個人的には,大統領職から退くということは一時たりとも考えたことはない。身体的あるいは精神的理由など,特段の理由があればそうする(大統領職から退く)が,それを決めるのは私である。私は完全復帰することを決意している。」と述べた。
6.チャベス大統領の誕生日演説
(1)28日,チャベス大統領は57歳の誕生日を迎え,黄色のシャツ(公の場では初)を着て大統領府のバルコニーに登場し,支持者に向けて演説を行った。チャベス大統領は同演説において,自身の病気は(野党側が批判するような)「政治的見せ物」ではない旨強調するとともに,これまで同大統領自身あるいは政府閣僚等が演説の結語として常用してきた「社会主義祖国か死か,打ち勝とう!」(Patria
socialista o muerte, venceremos!)のスローガンについて,「死」(muerte)という言葉が(自身がガンに冒されていることもあり)相応しくないとして,これからは「社会主義祖国と勝利,生きよう,打ち勝とう!」(Patria
socialista y victoria, viviremos y venceremos!)のフレーズを使用するよう呼びかけた。
(2)29日,チャベス大統領は当地国営テレビVTVの番組に電話を通じて出演し,前述のスローガンについて再考した結果,独立なくしては祖国も社会主義も成立し得ないとの理由から,「独立と社会主義祖国,生きよう,打ち勝とう!」(Independencia
y patria socialista, viviremos y venceremos!)のフレーズを使用するよう提案し直した。 |