着任の御挨拶

令和6年6月13日
佐藤靖大使
 私がベネズエラという国名を初めてしっかりと意識したのは、まだ中学生の頃でした。1975年に阪急ブレーブスに入団したベネズエラ出身のボビー(ロベルト・アントニオ)・マルカーノ選手の活躍がそのきっかけです。この年、近鉄バファローズとのプレーオフを制し、3年ぶりにパ・リーグで優勝を果たした阪急ブレーブスはセ・リーグの広島カープとの日本シリーズに臨みます。4勝2引き分け。一試合も落とすことなく、日本シリーズ覇者となります。上田監督率いる阪急ブレーブスは翌1976年から1978年まで4年連続でリーグ優勝し、そして1976年と1977年には長嶋監督が率いる読売ジャイアンツを相手に日本シリーズを戦い、3年連続で日本プロ野球界の王者となります。
 
 この阪急ブレーブス黄金時代に最も貢献した選手の一人がマルカーノ選手でした。強肩好打の活躍とベネズエラ人らしい明るさで、近鉄バファローズのファンであった私を含めて阪急ファン以外にも多くの日本人に好かれたと記憶します。テレビでしか見られなかった、そのマルカーノ選手が私とベネズエラの初めての接点といえます。
 その後、マルカーノ選手のように何人もの素晴らしいベネズエラ出身の野球選手が日本でプレーをし、特にアレックス・ラミレス選手は2000本安打を達成して名球会入りして、横浜DeNAベイスターズの監督まで務めました。
 
 私が実際にベネズエラの土を初めて踏むのは1992年の7月です。この年、天皇陛下が当時は皇太子殿下としてスペイン、ベネズエラ、メキシコおよび米国をご訪問され、その際に通訳として同行する光栄に浴しました。この皇太子殿下ベネズエラご訪問の模様のいくつかの写真が今でもネット上で見つかりました。後ろに控える若かりし頃の私も写っています。記憶が正しければ、このご訪問はご出発からご帰国まで18日間と長いものでした。これまで私が外交官の職務として経験した中で、もっとも素晴らしい出来事です。
 
 皇太子殿下(当時)がベネズエラをご訪問された1992年から32年がたった今年2024年の4月に私は日本の大使としてベネズエラに着任しました。前職は在バルセロナ総領事でしたので、1992年と同様にスペインからこの自然と文化に溢れるベネズエラに来たことに、少し運命的なものも感じています。
在留邦人の皆様にしっかりとした領事サービスを提供し、そして日本企業関係者の方々と様々な情報交換を行い、50年近く前に日本とベネズエラの架け橋の先駆者となったマルカーノ選手の活躍には及ばないかもしれませんが、当地の日系社会の皆様とも連携しながら、両国の様々な分野で関係の強化に努めて参りたいと存じます。
 
令和6年4月8日
駐ベネズエラ日本国特命全権大使
佐藤 靖