大使館からのメッセージ
令和4年3月7日
日本国大使館ホームページにようこそ。
日本とベネズエラの関係は豊かな歴史に彩られています。
2018年、両国では日本人移住90周年が盛大に祝われました。日本人移民の先駆けは、1928年にマラカイボの油田調査を目的に来訪した矢澤清治郎氏と言われています。この油田開発は、日米関係の緊迫化もあり、残念ながら成功しませんでしたが、矢澤氏は帰国の途次立ち寄ったパナマにおいて、苦境に立たされていた日本人漁師10数名と知り合い、この人達を連れてベネズエラに再渡航したそうです。その後、多くの日本人・日系人が両国関係の発展に貢献してきました。
両国間で国交樹立に向けた最初の接触がなされたのは1910年でしたが、ベネズエラに日本公使館が設置されて両国外交関係が樹立されたのは1938年でした。山形清初代特命全権公使は、1940年にベネズエラから日本に離任する際、恐らく世界最高の生活水準にある小さな楽園であり、犯罪はほとんどなく、反日感情もないとの印象を語ったそうです。その後、第二次世界大戦の際に両国外交関係は中断されましたが、1952年、ベネズエラはサンフランシスコ平和条約の批准を行い、両国外交関係は再開されました。
このように長い歴史を有する両国間には、さまざまな友情の歴史とその足跡があります。ベネズエラの街を歩けば、日本車の多さに驚かれることでしょう。1976年に発足したベネズエラ盆栽協会は、中南米カリブ地域で最も古い盆栽協会だそうです。東京オリンピックに出場し、我々の胸を熱くしたアントニオ・ディアス選手は、空手の世界選手権で最多の優勝メダルを獲得してギネス記録を受けています。25年以上前に設立されたロス・アンデス大学アジア・アフリカ研究センターにおいては、教授陣が講演等を通じた対日関心の促進、並びに、多数の著作を通じた日本文学への関心の促進のための活動を行っております。日本においても、ベネズエラは多くの人に愛されています。横浜DeNAベイスターズ監督を務めたラミレス選手は、現役時代、日本で外国人としては初めて名球会入りするなど、多くの人々に愛された選手です。両国では野球が盛んであり、日本では多くのベネズエラ人選手が活躍していますが、中でも、1999年にチャベス大統領が訪日した際、神宮球場において、ペタジーニ選手を相手に始球式を行ったことは伝説となっています。また、日本におけるベネズエラ産カカオ豆に対する愛情は相当なものであり、高級チョコレートだけでなく、市販のチョコレートにも、ベネズエラ産カカオを明記しているものが数多くあります。更に、2012年にはエル・システマジャパンが設立され、その直前に発生した東日本大震災の被災地で被災者の心に残る活動を行いました。
在ベネズエラ日本国大使館としては、こうした豊かな交流の歴史に基づく伝統的友好関係を踏まえ、日・ベネズエラ関係のさらなる発展に貢献していきたいと考えています。
日本とベネズエラの関係は豊かな歴史に彩られています。
2018年、両国では日本人移住90周年が盛大に祝われました。日本人移民の先駆けは、1928年にマラカイボの油田調査を目的に来訪した矢澤清治郎氏と言われています。この油田開発は、日米関係の緊迫化もあり、残念ながら成功しませんでしたが、矢澤氏は帰国の途次立ち寄ったパナマにおいて、苦境に立たされていた日本人漁師10数名と知り合い、この人達を連れてベネズエラに再渡航したそうです。その後、多くの日本人・日系人が両国関係の発展に貢献してきました。
両国間で国交樹立に向けた最初の接触がなされたのは1910年でしたが、ベネズエラに日本公使館が設置されて両国外交関係が樹立されたのは1938年でした。山形清初代特命全権公使は、1940年にベネズエラから日本に離任する際、恐らく世界最高の生活水準にある小さな楽園であり、犯罪はほとんどなく、反日感情もないとの印象を語ったそうです。その後、第二次世界大戦の際に両国外交関係は中断されましたが、1952年、ベネズエラはサンフランシスコ平和条約の批准を行い、両国外交関係は再開されました。
このように長い歴史を有する両国間には、さまざまな友情の歴史とその足跡があります。ベネズエラの街を歩けば、日本車の多さに驚かれることでしょう。1976年に発足したベネズエラ盆栽協会は、中南米カリブ地域で最も古い盆栽協会だそうです。東京オリンピックに出場し、我々の胸を熱くしたアントニオ・ディアス選手は、空手の世界選手権で最多の優勝メダルを獲得してギネス記録を受けています。25年以上前に設立されたロス・アンデス大学アジア・アフリカ研究センターにおいては、教授陣が講演等を通じた対日関心の促進、並びに、多数の著作を通じた日本文学への関心の促進のための活動を行っております。日本においても、ベネズエラは多くの人に愛されています。横浜DeNAベイスターズ監督を務めたラミレス選手は、現役時代、日本で外国人としては初めて名球会入りするなど、多くの人々に愛された選手です。両国では野球が盛んであり、日本では多くのベネズエラ人選手が活躍していますが、中でも、1999年にチャベス大統領が訪日した際、神宮球場において、ペタジーニ選手を相手に始球式を行ったことは伝説となっています。また、日本におけるベネズエラ産カカオ豆に対する愛情は相当なものであり、高級チョコレートだけでなく、市販のチョコレートにも、ベネズエラ産カカオを明記しているものが数多くあります。更に、2012年にはエル・システマジャパンが設立され、その直前に発生した東日本大震災の被災地で被災者の心に残る活動を行いました。
在ベネズエラ日本国大使館としては、こうした豊かな交流の歴史に基づく伝統的友好関係を踏まえ、日・ベネズエラ関係のさらなる発展に貢献していきたいと考えています。